「ふたたび、暖簾をかけるまで」

更新日:2019年6月7日

「ふたたび、暖簾をかけるまで」第一話

2014年6月脳内出血発症

ー脳動静脈奇形がやぶれるー

 発症の半年前、台風18号で家が浸水し、居酒屋を自営業でしていた為、業務用の家電製品は全て使えなくなり、主人は休みなく働きつづけ無理をしていたと思います。

7月

 約1ヶ月意識はなく、良くなると信じ、毎日病院へ主人の側で話しかけていました。

7月27日

 意識が回復しましたが、私の事はわからずにいました。

A病院では脳内出血の手術をすると左目、左手足の麻痺が残ると話され、何とかできないかと思いセカンドオピニオンでB病院、C病院に寄せて頂き、C病院に受け入れて頂きました。

8月

C病院の検査では脳内出血した脳動静脈奇形のカテーテル手術も難しく、D病院では主人に負担なくガンマナイフ治療をして頂き放射線治療は治るまで5年以上かかると話されましたが、目が見え、手足が動く事に感謝の気持ちでいっぱいでした。

(奥さんの気持ち)

仕事中、店は満席で急に主人は2階に上がってくると話し、10分経っても降りてこなくて心配していると救急車が止まり、びっくりしてお客様皆様にお会計をさせて頂き、電気、ガスを確認し、救急隊の方3人で主人を2階からおろして下さり、救急車に乗りました。

急だったのでびっくりして夜中2時頃手術が終わり(脳の出血を止める)、2,3日で先生は目をさまします。と言われましたが、次の日、水とう症という緊急手術で「家族みんな呼んで下さい」と言われました。

びっくりして連絡し、水とう症は無事成功しましたが、1週間後、口からものすごい血を出し、「大きな手術になります」と言われ、もう私自身パニックになりました。A病院では異例で先生方脳神経外科、心臓、気管たくさんの先生が来られて手術が始まり、あわただしく家族みんなで祈り続けました。6時間が経ち、成功した事をきいて涙があふれて先生方に感謝の気持ちでいっぱいでした。

しかし、脳内出血を一度したのでまた、破れる恐れがあり、手術で脳動静脈奇形を取る方がいいと話されましたが、リスクがあり、46才と若いのに左目が見えなくなり、左手、左足麻痺が残ると話されました。

何とかできないかとセカンドオピニオンに行かせて頂き、主人は脳の病気と腎臓も以前からビールの飲みすぎでアルコール肝炎になっている事を知り、2ヶ所の病院では受け入れてもらえず、B病院で受け入れてくださり、もし手術しか方法がなくても、私はどんな形でも主人と生きようと強く思い、今までになかった自分を知る事ができました。

気管切開のチューブを抜いても声が喉から漏れて主人の話している事がわからず、字も書く事も難しく、主人自身とても伝わらない事しんどかったと思います。

毎日理学療法士の先生が「吸って吐いて」の練習を見ながら、

私は心の中で「大丈夫、必ず声は出るからね」って思いながら見守ってると声を出せて、車椅子で歩く事が難しかったのに、私に車椅子を押されるのがいやだったようで練習して歩けるようになった時はとても夢のようで、「料理を作りたい」と話すので、料理の本を持っていって「退院したら作ってね」と話しながら毎日病院に通っていました。(次回に続く)

*この日記は高次脳機能障害からの社会復帰までのご夫婦の記録を記憶障害への代償訓練として手帳を書くこと、当時を振り返ることを踏まえて書いて頂いたものです。

ご夫婦より、多くの方に知ってもらいたいとのご希望があり掲載しております。

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