「ふたたび、暖簾をかけるまで」第二話
*この日記は高次脳機能障害からの記憶障害の練習の為にご家族による当時の様子、想いと御本人による振り返りから構成されています。
奥様からの当時の様子や想い
6月22日
仕事中に(午後21時頃)気分が悪いと話し、2階で救急車を主人自身が呼んでいました。救急隊のお話しでは、頭痛・嘔吐が病症しA病院へ救急で運ばれました。(その時、本人は意識なかったです。)
6月23日
両側脳室ドレナージ術手術(頭が2倍近く大きくなり水とう症の為、水を抜く緊急手術)
6月27日
気管切開手術
7月8日
開胸止血手術(口から大量に血を吐きだし、首から肺まで切り、原因を確認し、出血を止める手術)
7月25日
輸血を2回して頂きました。
7月31日
意識回復
8月22日
B病院へ転院
気管切開チューブ抜く
9月16日
C病院でガンマナイフ(放射線治療)
B病院で主人は血小板も低い為、脳への負担が大きく、手術は難しいと話されました。
今、青木さん本人が当時について思う事
食事に関しては毎ページ書いてあるので、頭の中に残りやすい最たることが、
食べることに関することだったのでしょう。
久代の渡した手紙に花に色を塗って、その中にオレンジの鉛筆で
「いつもありがとう。ずっと一緒に過ごしていきたい、そう願っています。
お互い健康で楽しく生きたいものですね」
今、書いた私がみても素敵なプレゼントレターだと感じます。
9月本人
ナースステーションで遊んでもらっていました。
家族から
9月
C病院に戻り、入院期間中、言語、作業、理学療法リハビリ
夜になると毎日病院の廊下を歩きまわり、夢を主人は見ていたと思います。
10月
家に帰っても私が困らないよう土日は家に帰り、慣れるような生活をさせて頂きました。
10月末 退院
高次脳機能障害の診断
退院して自宅が分からず、幼い頃団地に住んでいたようで、
いつも団地に向かう毎日でした。
一人で歩く事は心配で、毎日外に出かけ、いろんな刺激が脳に良いと知りました。
高次脳機能障害の会「つくし会」へ週2回参加(地下鉄二条城前)
*この日記は高次脳機能障害からの社会復帰までのご夫婦の記録を記憶障害への代償訓練として手帳を書くこと、振り返ることを踏まえて書いて頂いたものです。
ご夫婦より、多くの方に知ってもらいたい、とのご希望があり掲載しております。
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