「ふたたび、暖簾をかけるまで」

「ふたたび、暖簾をかけるまで」第30話


(当時の様子について担当訪問言語聴覚士から)


この頃になると、開始当初は簡単な受け答えは出来ても、「心ここにあらず」という感じでボーッとされていた様子は一切なくなり、「力が有り余っている」というご様子でした。


病前の性格と比べると、少しハイテンション過ぎる印象もありましたが、奥様としては

ハツラツと笑顔で話されている様子は寧ろ、「良い変化」と捉えておられるご様子でした。


当初は「店を開きたい」だけの目標共有でしたが、「覚えにくいから〇〇をする、練習する」の自覚をお持ちになり、具体的に再開に向けて日常的に工夫、練習をご夫婦でされるようになりました。調理の作業や腕前は衰えておらず、一つ一つの切る、焼くなどは問題なく行えておられましたが、料理工程や、急ぐとケアレスミスが出たり、というのは見られました。


また地下鉄・バスなどの公共機関での音や光への過敏さは依然あるものの、本を読む、景色を眺める、などで気を紛らわせて可能になっていました。

とはいえ、ショッピングセンターではカートの音が必要以上に大きく感じたり、お年寄りが自身の前でワザと大きく音を立てているように感じたり、はありました。

全体的な標準知能検査では言葉を用いる言語性知能は当時、

男性年齢平均のギリギリ下限~境界線

目で見て考える動作性知能は明らかな低下群、という結果でした。

そのため、得意な言語知能を活用し、言葉でのメモや自身の口で言語化し、目で見る難しさや記憶をカバーする、という手段は非常に有効でした。(リハビリ終了時に毎回自身の言葉で振り返りをビデオ録画し、次回開始時に振り返る)


当時日常生活では「有り余る元気」であったので高次脳支援センター、センター主治医等と共有しながら、作業所など社会的リハビリの時期への移行が始まりました。


実は退院時初期から障害者生活支援センター相談員が担当してくださり、作業所見学もされてはいましたが、当時はすべて拒否でした。

理由は「自分の店を開かないと行けないので、そんな時間は無い」でした。


ある程度の現実見当が出来るようになったこのタイミングというのも大切だったと感じます。


当初センターからの社会的リハビリの提案は他にもありました。


・市のリハビリセンターに毎日通って1日リハビリプログラムを行う


・居酒屋は辞めて、お弁当屋などを始める為の詰め込み作業を行う


ご夫婦で最終的には決められましたが、毎週ご自宅兼店舗に通う訪問担当としては

提案のズレを感じていました。


大きな理由は上記の提案は「全く新しいことに挑戦」することになるからです。

公共手段や行き慣れたスーパーという環境でもストレスを感じてしまう状態でもあったことからも難しいと感じました。

「店を再開したい」の思いのゴールとの相違はご夫婦としても現実的では無いと捉えられたと思います。


それらに対し、柔軟に対応してくださったセンター相談員、主治医の先生には

感謝しかありません。


そういう経緯もあり、

作業所への参加目的は


「店を再開しても大丈夫な体力を付ける」


となりました。












*この日記は高次脳機能障害からの記憶障害の練習の為にご家族による当時の様子、思いとご本人による振り返りから構成されています。ご夫妻より多くの方に知ってもらいたい、とのご希望があり、掲載しております。

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