「聞いて聴いて、早川一光先生のラジオな話!又、来週」

「聞いて聴いて、早川一光先生のラジオな話!又、来週」第20話

 他に番組オリジナルの記念品としては、今では防災グッズの定番になりました

電池の要らないナショナルの手巻きラジオに番組名を入れてプレゼントしました。

当初は番組予算にまだ余裕がありました。が発注するには足りませんでしたので

別番組「りんたろうのラジオストリ-ト」の記念品もこれにしました。

他に認知症予防の啓発と「ボケない音頭3点セット」(歌詞有りとカラオケが入ったカセットテ-プ・歌詞・踊りの振り付け)を毎週数名にプレゼントしました。

お年寄りの施設・病院・公民館・敬老会・社会福祉協議会等に無料でお送りました。

「ダビングして広めて下さい」とお願い。

どこかでお聞きになった事が有るかも知れません。

番組終了時、制作部長にはレコ-ド室に保存をお願いしておきました。


 それはさておき、土曜日本番の番組進行表や、リクエスト曲の資料、ゲストコ-ナ-の資料やポイント等原稿が出来上がるのが前日、金曜日の夕方です。

(他にも番組を担当、ひどい時は毎日生放送。ゲストから問い合わせが有っても即答できない事も)先生の分は読みやすいB4でおおきな文字に留意しました。2つの封筒に入れて、先生には堀川病院出町診療所に徒歩で、(会社から徒歩20分ほど)、

北出さんにはホテルのフロントへ毎回、私が持って行きました。

早川先生には診察前にざっと説明しますが、大事な事を言い忘れると悲惨です。

患者さんを飛び越してはいけませんので順番待ちです。

だいぶ後になりますが、金曜日の午後「池田幾三のおたすけラジオ」を担当した時は、月に1度金曜日の夜、リスナ-と出演者一緒のお食事会がありました。(番組の責任者なので休めない。遅い時は帰宅が11時になる事も)

土曜の朝は会社に5時入り。

睡眠時間を考えると辛いものが有りました。

番組資料の御届けは、FAXが登場するまで1年間続きました。

早朝の番組なのでゲスト交渉も電話出演が大半でしたが、新聞等の取材で番組の認知度が上がると、スタジオにも来て頂けるようになりました。

32年前のお年寄りはインタビユ-しても、詰まったり云いよどんだり、時として耳が遠い方もいて、聴きやすいように、話しやすいよう薄い目に、BGMをかける工夫もしました。後年、お年寄りのイメ-ジが変わって元気な年寄りが増えてきました。(10歳は若返った。)

最初は先生、時間取りや放送禁止用語(例えば○○カメラは差別用語です。)等大変でしたが、北出さんがフォロ-。

私が立ちあがったら残り1分です。

アシスタントが北出さんから、竹上さんに変わった時はしばらく大変でした。


先生の目線360度に大きな字で「竹上」と書いた紙を一杯張りました。


残り時間も慣れて来るとTVの様に、紙に書いて後2分とか見みせました。

これはむしろゲストの方に見てもらう為でした。

CMを出さないと放送事故になります。

それ以外はなるべく自然体で運行しようと、ギスギスばたばたしない途中で、

時報がなれば7時ですとコメントして続けて下さいと、お願いしました。

そのうち先生、時間どりも出来るようになり、時報もきれいに出せるようになりました。

喋り手は目の前の事で精いっぱい。

ミキサ-は次とその次の段取り。

ディレクタ-は全体を考えながら、ゲストのいい話なら2分余分に、その分天気予報やお便りで調整しようとか考えます。

ミキサ-の技量も考えながら指示をだします。

間合いも大事です。

子供の作文を聴く人が,考え、余韻に浸る間合いをとらないで・・

すぐCMに行ってはいけません。

そのうち、先生、患者さんを連れてスタジオに来るようになりました。


スタジオ見学の始まりです。

又、来週(つづく隔週予定)



*著者紹介

KBS京都「早川一光のばんざい人間」を立ち上げた初代ディレクター

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