「聞いて聴いて、早川一光先生のラジオな話!又、来週」第44話
第44話
--高田正人様--
このたび、海竜社より「ボケない生き方 ボケても幸せな老い方」を出版しました。
京都・西陣地域で半世紀、京都府美山町で七年、私としましては、一番、医療から遠い人たちの立場に立って、全力を尽くして医療活動をしてまいりました。不十分なところは多々あったと思いますが、かえりみて私心なく、悔いはありません。ぜひ、私の辿りきました道をご覧下さって、ひとりでも多く、ご理解いただければ幸いと存じます。
平成十五年八月 早川一光
と、ご本をいただきました。
番組のなかでは、先生が本を出すたびに紹介、リスナ-プレゼントして来ました。
一体、何冊あるのやら、今回のようにお手紙付きはめずらしいのでご紹介しました。
番組が終わって、2カ月余り早川先生は亡くなりました。
先生の長女で、フリ-ライタ-の早川さくらさんによると「フィナ-レは畳の上でした。」との事。(ミネルブァ書房から早川一光の「こんなはずじゃなかった」を出版されました。)
先生、最後の最後まで、生きざまを全うしました。
主治医の根津先生の努力、尽力も半端ではなかったでしょうし、ご家族の皆さんも先生の意思を最大限尊重され、(入院か自宅かで葛藤があっただろうと推察します。)幸い、先生のご遺志に添えました。勿論、先生の頑張りもありますが、・・・
「楽に死にたいとお望みの皆さん、それは逆に言えば、最後まで生きるという事です。ぎりぎりまで生きてゆく努力、その積み重ねが安楽死に通ずるということを申し上げておきます。」
「死はこわい。そりゃこわい。人間は生きてゆくように創られてこの世の中に出てきています。それが生きられなくなる一瞬が来るのです。そりゃ、こわくてあたりまえです。」
「死ぬ時、生き方を振り返ってみて、これでよかった、全力を尽くして生きた。いろいろなことがあったけれども、ここまで生かされて来た。これでいいのだ。来るべき死を迎えていこうという気持ちになられます。」
「人間、生まれるときは、同じように生まれてきますけれども死にざまは、1人ひとり違います。それは皆さん、生きてきたように、死んでいくからです。」(抜粋)
死にざまが生きざまを、生きざまが死にざまを、描いていきます。
関西TVの特番「畳の上で死ぬって大変だった」によると、
最後に立ち会った訪問看護師さん
「わしの最後はどんなになるんやろう」と言っていた先生に、
「何も心配しなくて良かったよと言える立派な最後でした。」
息子さんは「いい死に方でした。」
奥様は「いい人生だったと思います。」
主治医の根津先生「肩の荷がおりました。」
改めて早川一光先生のご冥福をお祈りします。そしてありがとうございました。合掌
「早川一光のばんざい人間」30年6カ月の長寿番組も又、多くの人に惜しまれ大往生を迎えることが出来ました。
番組を立ち上げた者として、最後に立ち会える事ができて、幸運でした。
3回忌、7回忌、13回忌、今や、再放送の時代。
必要とする方がいればエンドレス。それは、お任せすることにして・・・
2020年コロナが来ました。スタジオ参加は、当然出来ません。
TVの番組を見ても、悪戦苦闘。
ラジオは、ヒュ-マンな媒体です。人の息つかいも聞こえます。人の心に寄り添える媒体です。悩みなどを聞くだけでもよろしい!
「命のラジオです」。
行政と連携して「ゆずりましょう!もらいましょう!」「ボランティア情報」(事前登録者)等。
語りかけるラジオ・行動するラジオ!お助けラジオ!出来る事から、やる!小回りが利くラジオだからこそ!地域に貢献する。コロナで取り残されそうな高齢者、独居老人、母子家庭、こども食堂、弱者・・・やれることが有るはずです。
又、早川先生に接して、それぞれ、宿題をもらった皆さん、出番です。
自分に出来る事から・・・
又、来週(つづく隔週)次回は番外編 近藤 誠医師
*著者紹介
KBS京都「早川一光のばんざい人間」を立ち上げた初代ディレクター
#KBS京都
#早川一光
#ばんざい人間
#認知症
Comments