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「聞いて聴いて、早川一光先生のラジオな話!又、来週」

第37話

2020年3月21日、宮城まり子さんが亡くなりました。

肢体不自由児のための養護施設(ねむの木学園)を設立し、長年にわたり園長を務めました。22歳で歌手デビュ-「ガ-ド下の靴みがき」が大ヒット紅白歌合戦にも出場し、俳優としても活躍されました。93歳でした。ご冥福をお祈りします。

宮城まり子さんは、1975年3月21日から22日にかけて、KBS京都(現京都放送、当時近畿放送)テレビが、実施した日本初のチャリティテレビ番組イベント・25時間テレビマラソン「まり子のチャリティテレソン」の総合司会を務めました。

不眠不休で福祉の輪を広げるために訴える姿が話題になりました。特に京都府内に身障者のリハビリセンタ-を建てようと、民放なのに、CMカットで呼び掛けたそうです。浄財は4600万円を超え、6年後にも「まり子の30時間チャリティテレソン」を開催。翌年、ラジオの交通安全キャンペ-ン「かたつむり大作戦」が始まりました。私は1970年大阪万博の年に、アナウンサ-として入社。1973年彦根の滋賀放送局に転勤しました。22歳から64歳まで、ほぼラジオに在籍。テレビに3回誘われましたが、断りました。(内示はもらっていません)「ラジオだからこそ値打ちがあります。ラジオの可能性をもっと追求したいと・・」(かっこよろしいな、まだ若い。)一貫した命題は、「ラジオは何ができるか?地域に何が出来るか?存在証明としての番組とは?」まり子のチャリティ-テレソンの時は、彦根に住んでいたのとテレビ中心なので参加できませんでした。しかし、こんなことが出来る放送局なんだと、チョッピリ誇りと参加出来ない口惜しさを感じていました。ラジオも何か・・その翌年、ラジオの24時間生放送交通安全キャンペ-ン「かたつむり大作戦」が、始まりました。(後に交通遺児のための奨学金(返金不要)チャリティ-基金も募集します。)番組宣伝では、24時間生放送とスポットが流れます。本番1ヶ月前に知り、当然滋賀局も本局と同じ番組を流すと思っていたら、滋賀局は(周波数も違い別編成)レギュラ-番組といわれ、会議で局長に抗議しましたが、1ヶ月前では、いかんともしがたく、来年こそは滋賀版かたつむり大作戦をやると誓い、机の上にかたつむりステッカ-を張りました。その当日、なんと私が担当で「かたつむり大作戦の途中ですが、滋賀放送局をお聞きの皆さんには、レギュラ-放送をお送りします。」(当時はスポンサ-の関係で5分、10分の箱番組が多かった。)声を振り絞って、その屈辱的なアナウンスを行いました。果たして来年、少ない人数で滋賀版が出来るか不安でしたが・・でも翌年、滋賀県警や広告代理店の協力を得て、滋賀版8時間生放送を実施しました。ラジオカ-がないので、営業の車2台を使用(かたつむり1号車、2号車)。中継場所には、あらかじめラインを張りマイクをセットして放送。受付電話も設置、滋賀局全員でやりきりました。台本と進行表は私がつくり、1人でQを振りながら、作りながら8時間進行しました。最後は疲れてキャタツにもたれながら放送しました。放送後、全員で記念撮影お互いに労をねぎらいました。正真正銘24時間のかたつむり大作戦が出来ました。当日は、交通事故ゼロではありませんでしたが、啓発は充分出来たと思います。次年度から滋賀分も盛り込んで、構成放送するようになりました。その後、かたつむり大作戦は京都ゆかりの長門弘之さん南田洋子さんご夫妻をパ-ソナリティ-に、お迎えし長年にわたって続きました。

総務や経理も含め全社員が、かたつむりTシャツを着て、交通遺児のための奨学金を街角で呼び掛けました。(この経験が、放送マンとしての社員教育になりました。)

その後、本社に転勤してからは、毎年かかわりました。年間キャンペ-ンを行い、民放連放送活動部門で表彰もされました。国民の、市民の電波をお預かりし放送をさせて頂いているわけですから、地域に貢献出来る放送は大事です。長門・南田ご夫妻は、最後までノ-ギャラで、お仲間の俳優さんにも協力を呼び掛けて下さいました。なんでもそうですが、作り手が情熱を持って、言葉を吟味して、工夫を凝らす間は、大丈夫ですが、(制作マンとして、総合プロデゥサ-になるのは大変名誉と頑張るものですが・・)だんだんマンネリになり、構成作家に丸投げし始めると、次第に、言葉に力が無く、訴求力を欠き、スポンサ-も厳しくなり、達成感も乏しくなって、終わりました。私が担当した時、ラテサイマル完全24時間かたつむり大作戦が出来ました。(一緒に担当したTVのDが、ご夫妻の出演する映画を手配、深夜に編成。)後半南田さんはC型肝炎になりましたが、許される範囲頑張って頂きました。お二人とも、亡くなられましたが、スタ-ぶらず気さくに接して頂きました。

夜でも時間があれば、KBSホ-ル前に立ち、「かたつむり基金」を呼び掛け、貯金箱を持って来てくれる子供たちやカタツムリTシャツを買って下さる人に、感謝の言葉をかけていました。その真摯な姿勢をみて、社員もボランテイアも何度となく勇気づけられました。

ご一緒に仕事をさせて頂き、感謝、感謝、感謝です。ご挨拶と打ち合わせに東京のご自宅、名古屋の御園座、撮影所近くのマンションに伺いました。

地域に貢献出来る番組とは?機会があれば、提案しよう!彦根の滋賀放送局に在籍中に提案したのが、日の出から、日没まであらゆる角度から、琵琶湖・淀川水系を考える「近畿1400万人の水を考える!琵琶湖はだれのもの」でした。そして、21世紀の超高齢化社会に備えよう!「早川一光のばんざい人間」もこの延長線にあると、私自身は思っています。

次回は、アナウンサ-から、ディレクタ-へ!

又、来週!(つづく隔週予定)



*著者紹介

KBS京都「早川一光のばんざい人間」を立ち上げた初代ディレクター



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