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「聞いて聴いて、早川一光先生のラジオな時間」第11話 20190702 reissue

「聞いて聴いて、早川一光先生のラジオな時間」第11話 20190702 reissue

「ラジオは、なんでも出来る」


私の持論です。


ジャ-ナリストの端くれ 

「世の為、人の為、自分の為、意味のある番組を創ろう!」

後輩の放送人に語って来ました。

 

 この年、8月15日の終戦記念日が土曜日でした。

戦後、多くの引揚者が祖国の土を踏んだ舞鶴港の平桟橋。

その桟橋を見ながら、当時の状況を振り返り、

戦争の悲惨さ・平和の尊さを、日本海の波音と証言者の声(岩壁の母・引き上げ援護局)・時折聞こえる海上自衛隊のラッパの音を織り交ぜ、舞鶴湾の岸壁の傍に特設ステ-ジ(長机とパイプイス)を設け、本社スタジオと2元生中継を実施しました。(黒征さんらしい企画で民放連番組コンク-ル参加も意識して)

 黒征さん前夜の2次会スナックでは、壁などにサイン代わりにカラ-ペンで大きな猫や鳥の絵を描き残しました。炎天下、麦わら帽子を被っての生放送。

 放送も終わりかけた時ーーー

なぜか岩壁に漁船がぶつかりました。「ギョッ!」わき見操船による着岸ミス?

こちらに影響は無かったので、日本海の波の音を主役に放送続行!無事終了しました、、


(*写真①は この日の黒征の独り言エッセイの絵 海面から飛び出る大きな魚) 

(*写真②は 

当時の中継写真)


、、、、早川先生は?

終戦当時、京都府立医大で医学を学んでいて、デビュ-は、「日本に着いた舞鶴の引揚船」と放送で語っておられました。

こんな所にも、ご縁がありました。


 黒征さんには、1年間は続けて欲しいとお願いしてました。

しかし年末から1月にかけてパルコの仕事が入り、前日入りを当日の始発新幹線で行きたいと連絡がありました。京都着は8時45分頃、急いでラジオカ-を手配。

ディレクタ-が、ホ-ムで黒征さんをキャッチ!階段を下りてラジオカ-へ。

「皆さん、おはようございます・・・」9時の生放送に!100枚絵を描き上げる企画とか・毎週、始発新幹線が続きました。寝過ごして京都を乗り越さない様に、

新幹線に呼び出し電話をかけました。(この番組は、最初から最後まで黒征さん探しから始まりました。)

 ある日,いつものように新幹線に電話しましたが、出てきません。

ーーーー不吉な予感!


「乗っていないのか?」「寝ているのか?」「次の新幹線なのか?」

今の様に携帯電話がありませんから、確認しようがありません。

この日のゲストは、映画監督の高林陽一さん。

「黒征さん、寝過ごして京都を乗り越したみたいです。代わりにお話を伺います」

土屋さんと私で新作映画のインタビュ-。。


何とか乗り切りました。


 後で事務所に聞くと、タクシ-で東京駅に向かってて、ふと、気が付いたら神田。。

ドライバ-に言うと

「最近、地方から来たばかりでよく道を知らないと」

黒征さんそれを聞いて、一気に萎えてしまい(過労もあったんでしょう)

電話連絡すら出来ず、穴を(無断欠勤)空けました。


ラジオですから、皆さん聞いておられる。

土日は現場以外お休みですが、上司や営業・編成には結果だけ報告。


「スポンサ-対応は?」

「寝過ごしか?」

「体調不良か?」

今のところ事務所もお休みで不明。

来週の放送がどうなるのか?週明けの対応です。


、、、、、またもや修羅場です。


又、来週(つづく)






*著者紹介

KBS京都「早川一光のばんざい人間」を立ち上げた初代ディレクター

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